僕がいじめられた後の話~未来に向けて~

こんにちは、たつだんです。

今日は、僕がいじめられたあとの話をしていきたいと思います。

いじめられあとはどんなふうになったのか詳細に書いていこうと思います。

いじめられていた頃の話は、こちらから読んでください。

いじめられたあとは

いじめられた後に、彼女たちとはクラスは別になりました。

ただ、それだけでは校内で会う確率がないとは言えません。

僕は、徹底的に避けました。

もちろん、相手にも伝わっていたでしょう。

それで、会うたびに意味ありげな感じですれ違うのが本当に耐えられなかったです。

書いているうちに思い出したのですが、いじめられていた頃、町の図書館に行ったときに彼女たちとあったのです。

彼女らは僕だと気づくと、僕のことをさんざんな言いようをしました。

詳しくは思い出せないのですが、

「うんこだー、くっさー。」

みたいなことを僕にも聞こえるような大声で言っていました。

(不快にしてしまったらすみません)

もちろん、周りには人がいます。

でも、彼女らはそんなことお構いなしです。

その時、僕は弟と一緒に行っていてのですが、とにかく弟にこんなことを知られるのが怖くてたまりませんでした。

だから、借りたい本をすばやく借りて、逃げ出すように帰りました。

弟も僕にあれは何だったのか聞いてきましたが、僕は適当にごまかしておきました。

とにかく、なんでこんな目に合わないといけないんだ、と思いました。

あと少しタイミングがずれていたら彼女らと会うこともなかったのに。

そう何度も思いました。

でも、もう後の祭りです。

次の日学校に行けば、彼女らは僕のことをわざとらしくさん付けして、(いつものことですが)

僕が図書館に行っていたことを聞いてきました。

もうその頃は先生に無視するよう言われていたので、徹底的に無視していました。

まあ、今考えてみると、無視するのはあまり効果的ではなく、むしろ逆効果だったのではないか、と思っていますが。

じゃあどうすればいいの、と言われても、僕は返す言葉がありません。

話はそれましたが、とにかくそんな感じだったので、学校の外で会うことも気をつけていました。

もしかすると、出会う人に敏感になったかもしれません。

それ以来、彼女たちとは会うことも、話すこともなかったのですが、高校に入る直前でしょうか。

近所のスーパーに買い物をしに行ったら、偶然にもあってしまったのです。

僕は徒歩、相手は自転車でした。

だから、すれ違うのは避けられず、僕はできる限り相手を見ないようにしました。

前の記事にも書いたように、彼女らに謝りたい、なんて心の中では思っていました。

でも、実際にあってみると、やっぱりそんなことできるのか、まったくわかりません。

そんなふうにすれ違ったのですが、相手もおそらく僕だと気づいていたでしょう。

何やら話す声が聞こえました。

でも、もうそんなことは気にしないほうがいいとわかっていたので、もう終わったことだ、と自分に言い聞かせました。

成長した

こんな経験を通して言えることは、自分が成長したんだな、ということ。

いじめられた経験は、絶対に自分の成長につながっています。

入学したばかりの僕は、反抗期でしょうか。

学校と家ではまるで二重人格のように人が変わっていました。

部活に入れなかったときは、叫んで、泣いて、物を投げました。

学校に行けば何をされても自分の感情を出すことはありません。

親が言うには、学校では借りてきた猫のようにおとなしい、です。

もしかすると、そんな性格がいじめの原因になったのかもしれませんが、もう終わったことです。

そんな僕でしたが、いじめられてからというものの、家と学校での差はなくなってきました。

学校ではあいかわらず、おとなしいままでしたが、それなりに意見も言うようになっていました。

家では、泣くことなんてなくなりました。

自分の感情をコントロールできるようになったということでしょうか。

「いじめられる方が悪い」

という言葉、僕は肯定も否定もしません。

でも、この言葉は一回考えてみてもいいかもしれない、と思うのです。

自分が悪いのではないか、と考えると、僕の場合は様々な原因が浮かんできます。

本に集中しすぎて、無視してしまったこと、いじめられている間ずっと無視していたこと、

自分の意見をまったく言わなかったこと。などなど。

じゃあそれがあるから、全部自分のせいなのか。

そんなことは絶対にありません。

それがいじめというのなら、確実に相手も悪いです。

でも、自分の悪いところがわかるのは、いいことです。

だから、僕はいじめがあったからこそ、自分の悪いところを意識して生きるようになったのです。

正直言って、いじめがなくなったとき、また、それを思い出させることが起きたときには、いつも自分はなんてバカなんだ、と思っていました。

やっぱり僕はバカです。

悪いところがなかったら、悪いところを直せたなら、悪いところをカバーできるほどの得意なことを持っていたら。

そうすればきっとこんなことにはなりませんでした。

そうすればきっと周りのみんなと同じようにその女子と一緒に楽しく、もしくはなんともなく過ごすことができたのに。

でも、もう遅いです。

だから何かあるたびに思うのは、もうどうでもいい!!!ということ。

いじめなんていうのは、ただの記憶です。

ある一定の期間に、誰かが誰かに嫌がらせをした、そしていじめだと感じた。

ただ、それだけです。

だからもうそんなことで悩んだり、考えたり、思いつめたり、そんなことをするのは完全に無駄です。

時間の無駄です。

それこそタイムマシンでもないと思うようにはなりません。

というか、タイムマシンがあっても思うようにはなりません。

だから、いじめられている、いじめられた人は、より強く未来のことを考えていくべきだと思います。

そうすればもう過去の自分なんてどうでも良くなります。

そうやって自分が変わることができたならそれを誰かに教えたらいいんです。

そうしたらまた幸せが一つ増える、そうすればこの世からいじめで悩む人なんていなくなるのではないでしょうか。

もちろん、理想です。

頭の悪い馬鹿な高校生が言っている言葉です。

でも、強く望めば必ず明かり未来がやってきます。

強く望むことで成功したというのは成功者の当たり前です。

僕も今思うのは、僕をいじめていた女子の自分の意見をぶつけてみたら良かった、ということ。

事情をほとんど知らない先生から「指導」という名前でいろいろ言われたところで、つらいだけです。

それならいじめている人から直接言われたほうがいいのではないか、そう思うようになりました。

まあ、これも過去の話ですが。

未来を見ろ

とにかく、伝えたいのは、未来を見ろ、ということ。

過去を見ていたって、そこにつくっていくものはありません。

過去から学んで、未来をつくっていきましょう。

そうすれば、自分らしく生きていくこともできるようになります。

というわけで、たいしたいじめも受けていないのに、僕が思うことを書きました。

参考にならないところもあるかもしれません。

こんなの全部ウソだ、とかいうこともあるかもしれません。

もちろん、それで構いません。

それでも、僕はすべての人に自分らしく生きてほしいです。

この記事が少しでも、あなたの役に立ったのであれば幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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